コンペでデザインを決めないほうがいい理由。その2
コンペと言えば思い出されるのは一昨年日本中が大騒ぎになった、
2020年オリンピックエンブレム問題だ。
問題の詳細は本題に関係ないので省くが、
コンペに参加する作家の資格条件が大きく変わってしまったことが、
コンペの目的そのものを変えてしまった。
1回目は「有名な賞を獲った経験のあるデザイナー」から、
2回目は「デザイナーでなくても老若男女誰でもOK」なコンペへと変質したのである。
1回目は、そもそもコンペではない。
1回目のコンペは、選りすぐった日本のデザイナーから候補作を集め、
オリンピックのエンブレムということだけでなく、
世界のデザイン史にも残るべき作品とすべきであるという目的が伺える。
そういった国の威信をかけたコンペだから、
無名のデザイナーや素人の出る幕は最初からないわけだ。
しかし別に悪いことではない。
オリンピックの選手たちが日々鍛錬を重ねて晴れの舞台で演技を披露するように、
デザイナーもそれまでに磨いてきた技術や発想を駆使して、
世界にその成果であるエンブレムを披露する場なのだと考えれば、
このような大舞台に、素人がホイホイ出てきたらいけないのは当然だ。
だからこれはコンペではあるが、
「まかり間違って変なのが出てきちゃった」などということが起こる余地のない、
力のあるデザイナーに絞った「発注」なんだよね。
そう考えれば、トップ当選のエンブレムがダメになったのなら、
次点を採用すれば良かっただけの話だけど、
あんな騒ぎになっちゃったから、全部を一度チャラにしないと収集がつかなくなってしまった。
(このあたりの詳細は、JAGDAから公式の見解が出ています)
2回目こそが、いわゆる「コンペ」だ。
対して2回目は、本当にコンペになってしまった。
誰でも参加できるし、審査員も各界から著名人を集めたが、デザインに関しては素人だ。
(オブザーバーとして実績のあるプロデザイナーも審査に参加している)
こうなると、そのデザインそのものを高尚に追求するということから、
日本人みんなが参加して作り上げたというプロセスが目的となる。
約1万4500点の応募作が集まったようだが、
1回目のプロたちによるエンブレムと比べて遜色ないものは、
はたしてどれほどあったのだろうか。
さすがに幼稚園児が描いたラクガキに決定するなどの愚は犯さなかったが、
エンブレム選定の基準を作ったり、審査員の意見をまとめたりすることに尽力なさった方々の
苦労を思うと、本当にお疲れさまでしたと言いたい。
さて、このコンペの結果決まったエンブレムは今みんなが目にしている。
このデザインにどうのこうの言うつもりはないし、
採用されたデザイナーはラッキーだったと思う。
ただ、ひとつだけ感想はある。
このエンブレムは、亀倉氏が制作した1964年の東京オリンピックのポスターのように、
語り継がれるものになるだろうか。
まとめよう。
2回目のコンペは、普通にクラウドソーシングなどにオーダーするコンペと同質のものだ。
意義や理念などは具体的に表明されていないため、
作る方も、候補案を見せられたほうも、ピンとこないまま決めてしまう。
本当に自社の魂を入れ、末永く愛されるものにしたいなら、
デザイナーと議論を積み上げて完成させていくしかないのだ、と思うよ。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
デザインは戦略です。
デザインタイズして、もっといい会社になろう。
※「デザインタイズ」とは、デザインで企業価値を創るという意味を込め、”マネタイズ”からもじった造語です。日本人以外には通用しません。